香港便り 1997年1月9日
- 死の進化と不老不死の世界 -

(前書き削除)

こちらのクリスマスは英国の影響なのか25、26の2日間休日で、事務所の入り口にまで巨大で派手なクリスマスツリーを飾るなど街中お祭り気分でしたが、正月は日本程ではなく元旦のみが祝日、テレビの番組もほぼ平常通りで日本人としては物足りない新年の迎え方でした。もっとも日本にいても寝正月ばかりであまり有意な違いがあるとも思えませんが。

さて、パソコンの方は相変わらず凝っています。ハードディスクを520MBのものを1.3GBに取り替え、壊れてカサカサした音しか出なくなっていた内蔵スピーカを修理したりで、ノートパソコンの内部構造にかなり詳しくなりました。スピーカは部品が手に入らず、結局安売りのヘッドホンを潰して中に入っている小型スピーカを取り出して代用しました。入力抵抗値が違っているため音量はやや下がりましたが、大きさがほぼ同じで元の場所にピッタリおさまりまあまあ合格です。元々、製造コストを下げるため家電用部品をそのまま、あるいはパラメータを少し変えた程度の物をつかっているのでしょう。

1.3GBハードディスクは11月に東京に出張したおり、本当にちゃんと動くか一抹の不安を覚えつつ、つい衝動買いしてしまったもので、電源SWオンでハードディスクヘのアクセスが始まった時には感激でした。秋葉原で4万3千円もしましたが、約5年前、容量がたったの20MBの同じくノート用ハードディスクを迷ったあげくに定価10万円のを大枚8万円も奮発して買ったのがウソみたいです。この5年の間に値段が約半分、容量が65倍、ビット当たりの単価で計算すると121分の1になったわけです。このハードディスクを3つにパーティション分けして、それぞれ日本語Windows3.1/95, 英語Windows3.11, 英語Windows95と3つのOS環境からブートできるようにしています。 まったくパソコン少年になってしまいました。

思うに、パソコンは便利な道具ではあるのでしょうが、組み立てるのと使い方を習得するのにこれほど手間隙かかるのはやはり異常です。大変な時間食い虫の金食い虫で、かつ神経を消耗させる悪魔の贈り物ではないかという気がします。世界中で人々がパソコンの使い方の習得やトラブルの解決に費やしている延べ時間の合計は天文学的数字になるはずです。これだけの人的リソースが投入されていったい何が達成されたのでしょうか。バーチャルな世界にひたすら没頭する事によって現実感覚がどんどん失われ、自分勝手な考えに凝り固まったパソコン少年や中年を大量に生み出している、というのが自分自身の体験からの感想です。パソコンは人間性を破壊しかねない危険なオモチャではないでしょうか。気を付けましょう。

話しがどんどん暗くオタクっぽくなってきましたので話題を変えます。

昨年末に、例のベストセラーになったジュラシックパークの続編のロストワールドを読みました。前作ほどの新鮮味はありませんが、又、面白過ぎて飛ばし読みした箇所がほとんどで、著者の意図を汲み取ったとはとても言えないのですが、未だお読みでなければ御一読をお薦めします。
生き物の神秘は奥が深く、人の知と想像力をはるかに越えた世界が展開されていて、とても刺激的です。生物の進化には何か意外で単純な秘密が隠されているのでは、といった期待をもたせてくれます。

話しがまた、“オタク”的になってきましたが、最近、生物の個体の死というのは、当然の結果で自然の成り行きのやむを得ない「当たり前のこと」ではなく、むしろ、もう少し深い意味を持った、無くてはならない「機能」として進化の過程で発達してきた「種」の保存のための、ドーキンス風に言うならば「遺伝子の繁栄のための仕組み」ではないか、と言った事を考えています。

細胞にとって自分と同じ複製を作ることは、最も容易な仕事のはずです。ある生物の個体が、その機能が頂点に達した時点で成長するプロセスを止めて、代りに現状維持の体制に入るようにすることは「技術的」には簡単だったはずです。なぜなら、壊れた、あるいは古くなった細胞をそれと同じ新しい細胞に置き換える仕組みを作ればよいだけの話しですから。

「老化」の過程をほどよくコントロールしながら「死の過程」をデザインすることの方がよほど高度な技術が要求されるのではないかと想像されます。そこで、「死」あるいは「老化」とは、遺伝子の中のプログラムとして発達、進化してきた「積極的」な機能のひとつで、そのプログラムの変更によってタイミングを変えたりスピードを速めたりすることが可能なものではないか、と言った考えが生まれます。

仮に人間の遺伝子のある箇所が「死の過程」を司っていると仮定し、その部分を不活性化することにより人の老化が比較的簡単にストップできるとしましょう。人類の永遠の夢であった不老不死が現実のものとなるのです。人間社会はこれをうまく管理できるでしょうか。

「死の過程」が何十億年もの進化の結果として発達し、守られ続けてきた種の保存のための必要不可欠の仕掛けであるとすると、この仕掛けを殺すことは種の保存に対して大変なインパクトをもたらすはずです。人の個体が少なくとも老化では死ななくなり、死亡、出生のバランスは完全に崩れ子供をもつことが大変な特権になるでしょう。闇の子供が大量に生まれて、いずれ管理された合法的な子供より多くなる時期がくるでしょう。社会の新陳代謝は進まなくなり一切の進歩を拒絶するようになるでしょう。不老不死を得た人々の死に対する恐怖は無限大に増幅されるでしょう、あるいは、そうでない人もいるでしょうが、その様な人は早期に舞台からいなくなるでしょう。

どういう社会になるのか想像の域を越えていますが、不安定で永くは存続しえないような気がします。社会としては消滅の道をたどるように思えます。個体の数も次第に減少して何かのきっかけで全滅という結末になりそうです。

個体の不滅が種の滅亡を引き起こし、結局辛うじて生き残った個体も消滅するといったSF的な展開が浮かんできます。かつ、もし不老不死を実現する遺伝子操作が可能なら、その場合それを禁止することは可能でしょうか。不法な行いは常に存在し法律で完全に禁止することは不可能でしょう。またこの場合不老不死の法律破り人は死なないわけですからどんどん蓄積して増えていき、正直者の比率は低下の一途をたどりいずれ自然消滅するのでしょう。個の保存と種の保存は、時には対立することもあるはずです。死とは生のために発達してきた進化の産物なのでしょうか。進化の秘密はもっともっと奥深いような気がします。いかがでしょうか。

動物の遺伝子はそのDNA配列の大半が意味の無いガラクタで永年の進化の過程でたまったアカだそうです。パソコンのハードディスクにたまったソフトのごみファイルみたいな物なのでしょう。ただし、パソコンと違って一度作られたファイルはデリートされることはあまりなく、不要になった場合はそのファイルの付属のスイッチをOFFにすることにより一時的に機能を止めるようにし、復活の可能性を残す様なことをやっているようです。Un-Deleteのしかけです。したがって、ガラクタ遺伝子とは言っても、現時点では機能していなくても過去のある時点では機能していたはずで、過去の試行錯誤の歴史の膨大な記録になっているようです。また、何かのきっかけでOFFになっていたスイッチがONになり遠い先祖が持っていた動物的超能力が蘇る事もあるのかもしれません。この分野は未だ色々な空想妄想の余地が沢山あって大変面白いと思っています。老後あるいは、あこがれの窓際族になったあかつきには、ジックリと研究に取り組んでみたいと思っています。その時にはぜひ専門家として仲間に加わって下さい。

(以下削除)

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