10年ほど前から薄々変だと思い始めていたことだが、先生の講座を受ける中、今の日本経済に対して疑問の念を強く抱くようになった。私は団塊世代の年金生活者で株にも手を出さない(出せないといったほうが正確か)、「経済」については全くのド素人である。専門的なことはまるで分からない。だが、今の日本経済には一般常識から考えて、単純な理屈に合わない不思議なことが幾つかあると思うのである。
国の借金が国民一人当たり800万円近くにまで膨れ上がるとは、庶民感覚として信じ難く理解の範囲を超えている。さらに不可解なのは、マスコミや政治家達はこの問題をしつこく指摘はしているものの今ひとつ緊迫感が無く、まるで他人事の様で本気さが見えないことである。まさに、ぬるま湯の中の茹でガエルの状況で、ひょっとして既に神経がイカレテしまっていて熱さを感じなくなってしまったのであろうか。
考えてみれば、借金は貸し手と借り手の合意の元に成立するので貸し手が「返せ」と言わない限り、いくら借金を増やしても問題は出ない。貸し手は誰かと言えば、銀行であり保険会社、年金基金であったりするらしい。個人金融資産が1500兆円もの巨額にのぼることから、まだまだ大丈夫という理屈なのだろう。今の政策は、かつての不動産バブルの始まりの予兆のような気がして気味が悪い。まとまった資金でもあればリスクヘッジのために土地でも買いに走るのであるが年金生活者にそんな余裕があろうはずがない。
デフレは本当に悪いことなのか。理想的にはインフレもデフレもなく、今日100円の大根が、一年後にも10年後にも同じ100円で買えるような安定した経済がベストではなかろうか。工業製品については、生産技術の発達や新技術の出現により、あるいは単純に量産効果により、生産コストがドンドン下がることが当たり前になっている。それに加え、グローバル化(正確には世界のフラット化と言うべきか?)による国際競争の要素が重なるのでさらに価格が下がる。パソコン等IT関連の機器や薄型TVが良い例である。
農産物でさえ、スピードの違いはあるにせよ品種改良や耕作技術の進歩、農業経営の効率化等で生産コストは時代とともに下がるはずである。産業全体の生産効率は当然のことながら向上の方向に進み、労働者の付加価値も上昇するはずである。
物価がゆるやかに下がり、かつ、給料はゆるやかに上昇する、というのが本来の目指す方向ではないのか。それを事もあろうに2%ものインフレを目標とする政治家が現れ広く支持を集めつつある。不思議な世の中になったものである。
さんざん言われているように、年寄りが増え若者が減っている。年寄りは職を離れもっぱらお金を使う側にまわる。需要と供給の関係からの当然の結果として、国全体が労働者不足に陥り、新卒者の就職については引く手あまたの売り手市場となるはずである。ところが現状はどうだろう。新卒者に限らず今職を得ることは容易ではない。初任給も上がらない。もし、少子化ではなく「多子化」になっていたら今の日本はどうなっていたであろうか。失業率は今の何倍にもなっていて、巷には若年失業者が溢れ、治安の悪化、中流層の消滅、政情不安等で日本の社会基盤そのものがガタガタになり、今より遥かに深刻な事態に陥っていたはずである。「少子化」に救われている面もあるのではなかろうか。
根本的な問題は、今、日本では人が余っていることであろう。移民の受け入れなどとんでもない話である。労働市場で質、量ともに需給バランスが崩れてしまっている。我々団塊世代の就職時とはまるで違う異様な状況が、10年も、20年も放置され続けている。非正規雇用の問題も含め、なぜこの様なトンチンカンなことになってしまったのか。大きな謎といえる。
以上三つの不思議を眺めていると、その奥に構造的な要因があるように思えてくる。抗し難い大きな時代の流れと言った方が良いのかもしれない。
第一に浮かんでくるのは、日本はもはや特別な国ではなく、普通の国になりつつあるのではないだろうかという悲観的な考えである。昔の日本は、勤勉で我慢強く、教育レベルが高く、その上、手先や頭が器用で何事も要領よくこなす、このような類い稀な国民に支えられて抜群の国際競争力を獲得し、維持することができた。今はどうか。世界の多くの地域で民度が上がり、逆に日本の人的資源のレベルは下がって、発展途上国を含めてドングリの背比べ的な状況になりつつあるのであろう。かつてのように、工業の多くの分野で日本が世界を席巻するようなことは今や難しくなったと思う。アメリカもそうだろうし、日本も特別な地位を保てなくなっている。中国もインドも別の意味で特別ではなくなる。当面、世界はまだフラット化の方向に進むと思う。
今まで、世界の様々な「ギャップ」を利用して付加価値を生み出してきた先進国は、だんだんそうは行かなくなる。日本のサラリーマンの平均給与は世界の平均から見たらまだ断然高いだろう。物価も高い。円安はさらに進み人民元は上がるだろう。世界の構造変化はまだ進むに違いない。周りの変化に自ら順応できない日本は、海外からはかっこうの投機ターゲットと映ろう。
この様な状況で日本はどうすればよいのだろうか。まずは、世界の現実を素直に直視することだろう。日本経済はもはや日本の政治家がコントロールできるようなものではなくなっていると思う。我々の身の回りは「Made in China 」と書かれた製品で満ちている。さらには、「Made in India」や「Made in Vietnam」などが加わり「Made in Japan」は人間だけという事態にもなりかねない。日本経済は世界の大きな動きの一つの歯車でしかない。独立して動こうにもニッチもサッチも行かなくなっているのであろう。世界の流れに乗ってうまく回る価値の高い歯車であり続けるには何が必要なのだろうか。
小手先の改革ではどうにもならない気がする。やはり、日本人一人ひとりの生産性と文化レベルを引き上げる必要があろう。10年ほど前、シンガポールで外資系企業に数年勤務したことがあるが、個人対個人の比較でいくと日本人は完全にシンガポール人に負けている(生産性という尺度で)。かつては、日本人はチームワークの良さで勝負できたが今はそれすらあやしくなっている。彼らは日本人より遥かにハングリーで個人のスキルアップに情熱を注いでいる。帰国して、彼我のギャップに愕然としたことを今でも鮮明に思い出す。
インフレだ、公共投資だと騒ぎ立ててムードを盛り上げるのも良いだろう。短期的には何かこれまでとの違いが出てくるだろうし、高齢者も多少の協力と犠牲は惜しまないだろう。
しかし、真に必要な対策は、きっ掛け作りの短期対策と同時進行で、長期的な、地に足の着いた、病根にメスを入れるような、体力と気力を回復させる治療を施すことだということを忘れてはならない。
その治療には少なからずの痛みを伴うだろう。痛みを嫌がってグズグズしていると病は進み致命的な、もっと大きな痛みが必ずやってくる。デフレのせいにして、日本の置かれた現状から目をそむけてはならない。歴史を繰り返してはならない。