2004年1月 技術協力から海外オペレーションへ
- シンコーディアの試み - 

会社関係の記念誌への投稿記事

(一部固有名詞は伏せてあります)

当時としては実に画期的であったシンコーディアのプロジェクトに参加する機会を得たのは91年のことでした。シンコーディアは、英国のBTにより同年設立された、多国籍企業を対象に高付加価値国際回線サービスをワンストップショッピングで提供することを目指した会社で、NTTもそれに参画するための準備を進めていました。NTTの民営化やNTTインターナショナルの設立から既に数年を経て、NTTの国際活動も技術協力から商業ベースのコンサル/エンジニアリングへ、さらに海外出資による国際オペレーションへの参画へと大きく舵を切ろうとしていたところで、世界的な通信自由化の動きを先取りする大胆なプロジェクトでした。

アトランタでBTとの調整役として奔走されていたリ−ダのTさんを追い掛けるように、91年11月に4名(N氏、S氏、S氏、筆者)が、シンコーディア社へ出向するためアトランタ入りしました。後で合流したN氏を含め合計6名の派遣者は異なる部門に分散する形をとり、各々Corporate Strategy、 Network Operations、 Quality、 Project Management、 Customer Network Design、Network ProvisioningのDirectorや Managerに就きました。筆者の部門はNetwork Provisioningで、主な仕事は、世界の主要都市に建設中の数十のHubをメッシュ状に結ぶための国際専用線の調達/開通を行うことと、局内のケーブルの引き回しも含め各Hubへのアクセスの2重化を行い「Single Point of Failure」が出来ないようにすることでした。当時の国際専用線の使用料は今では信じられないくらい高額で、東京から米国へのT1(1.5Mb/s)ハーフ回線で年間1億円近くかかったと記憶しています。 多くの国にまたがって拠点を持つ多国籍企業にとって、社内ネットワークを構築することは、関係する全ての国のキャリアと交渉する必要があり、お金と時間のかかるリスクの伴う大仕事でした。だからこそ、シンコーディアのように予め主要拠点に設置されたHubと地球規模のコアネットワークを持ち、企業からの需要に即応して信頼性が高くVPNやアウトソーシング等の付加価値ネットワークサービスを提供することに大きなビジネスチャンスがあったものと考えられます。

どのキャリアに発注してどの海底ケーブルに収容してもらうかは戦略的な配慮が必要です。出向して半年くらいたった頃、東京からロサンゼルスとニューヨークへの2本のT1をKDDに、東京から香港へのT1をIDCに発注したことがありましたが、その時BT本社の某幹部から電話が入り長々とお叱りを受けたことがありました。KDDとはボリュームディスカウントの交渉が進行中で、また、香港についてはHubの開局時に香港テレコムと揉めた経緯がありC&Wの影響下にあるIDCを使った方が無難というのがアトランタ側の考えでしたが、当時からBTは日本テレコムに出資をしておりロンドン側としては3本の東京回線の内一本も日本テレコムにまわさなかったことに腹を立てたようでした。 慣れない仕事の中身に加え、カルチャーの違いや言葉の問題もあって、これまでにない厳しい環境でしたが、責任と権限がはっきりしており、やったことの結果が目に見えてくる仕事でしたので充実感があり、あっという間に時間が過ぎていきました。

我々派遣者がアトランタで実務に追われている一方で、東京ではシンコーディア社への出資のための当局との調整が難航し、そうこうしている内に、かねてからパートナー探しにやっきになっていたBTは93年にMCIと戦略提携を発表し、シンコーディア社もBT/MCIのジョイントの形をとる事になりました。また、同じような時期にワールドパートナーズへのNTT参画の話が持ち上がり、結局NTTはシンコーディア社への出資を断念することになりました。94年6月には出向者も大半帰国し、シンコーディア社プロジェクトも形になる結果を出さずに終結するのですが、このプロジェクトは参加した個人のその後の人生に大きな影響を及ぼすとともに、NTTがこの先海外でオペレーションに参画するための先導役を果たし、タイのTT&Tへの出資やさらにはアークスター事業へとつながったと考えます。

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